国境とカジノの町 アランヤプラテート (その2)

 アランヤプラテートは古くから国境貿易、1980年代になってカンボディア難民キャンプ、1990年代中頃からはカジノで名を馳せるようになった街です。街自体はとても小さく、長距離バスターミナル前に中央市場、隣接して建てられたおそらく市内でも有数のホテル、アラン・マーメード(2001年に一度宿泊 しましたが、バンコク市内では3つ星に手が届くか届かぬか程度のビジネス・ホテル。料金は当時で1泊朝食付で800バーツ程度であったと記憶しています)と、これもおそらく市内で唯一のパブ・テックが一固りになって います。あとは街の中心部に位置する?時計台程度しかめぼしい建物はありません。

 

 町から少し離れて(中央市場前の大きな道を国境方面に向かって左手に)忘れられたかのように佇むタイ国鉄「アランヤプラテート駅」 。一日2往復しか列車はなく、到着・出発の前後しか窓口は開きません。 

  

 国境付近では両国の間を頻繁に大型トラックが行き来しています。その一方市場では、荷車・リヤカーなどが大活躍。カンボジアから入って来るものは主に中国製品だそうで、ベトナムやラオスを通って来たものです。カンボジア製品で輸出に耐えるようなものはまだ無いのかも知れません。

   

 一方、タイからカンボジアへは、鍋釜の類から衣料品・食料まで、ありとあらゆる生活必需品が持ち出されて行っているよう。中でも古着屋さんが目立ったのには感慨深いものがあります。この21世紀の世の中に、まだ古着を必要としている国がタイとベトナムに挟まれて存在しているのです。 しかし、残念なことですが「先進諸国からの援助物資が横流しされて売られている。」という噂が根強くあることも事実です。かつて繋がっていた(現在も物理的には繋がっていますが)鉄路の上を大きな荷物を抱えた人々が行き交います。 

  

衣料品の中でもミリタリーグッズが目立つのはなぜか?荷車に文字通り山ほど積まれた白いものはプラスチック製のボトル、中身は空なので、おそらくカンボディア側で飲料水などを詰めて売るのでしょう。しかし、よくこんなに沢山積めるものです。

おお〜っ、これはあこがれ?のロング・ストレッチ・トゥクトゥクだ!聞いてみたら、エンジンは日本の軽乗用車のお古で850CCのものを積んでいるそう。ハーレーにも負けないぞ!

     

そして最後に、これはタイ国内からカンボディアへ強制送還されてゆく人々。どのような事情なのか、人それぞれでしょうが、貧しさというものが根底にあるのは疑いのないところ。「国へ帰ったって仕事が無いんだよ!」と言っているようでした。<トモフミ>

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