プラ・ナコン・キリ ラーマ4世の離宮

 バンコクから約150kmほどを南東に走るとパタヤあたりに着きますが、ほぼ同じ距離を反対の南西の方へ走るとペッブリーという街に着きます 。どちらもビーチ・リゾートではありますが、まだ南国という程の雰囲気でもなく、海の青さも今ひとつと言ったところです。

 この街の中心部にほど近いところ、小高い山の上にラーマ4世の建てた離宮があります。一般的には「カオ・ワン」(山の宮殿)と呼んでいますが、正式には「プラ・ナコン・キリ」(偉大な山の都)と言います。

 ラーマ4世(モンクット王)の在位は1851〜1968年ですから、ちょうど日本の幕末の動乱期にあたります。また、この王様は「王様と私」のモデルなのですが、この映画はタイ人にはとても評判が悪いようですね。曰く、「時代考証がメチャクチャ。」「高貴なタイ王室と思えないような描かれ方をしている。」などの感想を持つ人が多いようです。ですから、親しみを表すつもりで、「『王様と私』を見てタイに興味を持った。」等と言うとだいたいのタイ人は眉をひそめてしまうようなので気を付けましょう。

 この山上の宮殿の一部が博物館として公開されているということで期待していたのですが、何と中は撮影禁止。王様が集めた沢山の食器類、家具、絵画などが展示されていました。ヨーロッパ風のものがとても多いように思えたのですが、この時代は日本も同じで、欧風のものをありがたがったのしょうか。

 高さ90m程のこの山の麓からはケーブル・カーが出ています。実を言うと、子供がテレビでここのケーブル・カーを見て「乗りたい!」と騒ぐので連れて行ったというのが真相です。日本にいる時はまだ小さくて乗った事が無かったですから。ケーブル・カーと博物館の料金が込みで90バーツでした。(タイ人は70バーツ)

 麓の乗り場の廻りには、日本の観光地と同じでお土産屋さんが沢山並んでいました。

 山上にはこのように大きな仏塔がそびえています。ビルなどの無い時代に建てたものですから、大変な労力がいったのでしょう。まあ、それが王様の威光というものかも知れません。山上から見たペッブリの街は意外と小さかったのですが、この街の人達にとってはこの宮殿は、きっと街のシンボルなのでしょうね。ペッブリのペッ(ト)という部分はダイヤモンドを意味します。ペッブリというのはダイヤモンドの街という意味なんですね。( 宮之井)

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