トンブリ駅にまた列車が来るようになりました。(2003年5月19日)

「トンブリ駅がまた使われ出したらしいゾ。」との情報を得、さっそく現地調査?に行ってまいりました。ソンクラン(4月の中旬の仏教正月)からだそうで、2ヶ月ほど前のレポート(このページの下の方)で、駅員さんが「また列車が来るようになる。」と言っていたのは本当でした。鉄道博物館になるという話はいったいどうなってしまったのでしょうか。

半信半疑で行ってみたのですが、2編成も止まっているではありませんか。

左側が13:45発のカンチャナブリ方面ナム・トック行き259レ。(18:20着)

右側は13:30分発のプラチチャプ・キリ・カン行き251レ。(19:10着)

そうこうしているうちにバンコク・ノーイ駅に隣接した機関区の方向からDLがやって来て、あっという間に251レに連結完了。なんだかオンボロな機関車だなぁ。

う〜ん、やっぱり広い構内に列車があると無いとでは大違いですねぇ。あとはオマケでちょっと車内を記念撮影させてもらいました。 旧型客車のオンパレードです。三等車には片側のシートを改造した車両があるようですね。ちょっと広げて3人座らせてしまおうという魂胆のようです。

 

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トンブリ駅の現状(2003年3月22日)

 前回バンコク・ノーイ新駅についてレポートしましたが、せっかくですから約500m先の旧トンブリ駅の現状を簡単にレポートしておきます。タイ国鉄の駅名表示によればここはトンブリ駅ですが、このあたりはバンコク・ノーイ(小バンコク)と呼ばれており、タイ人はずっとバンコク・ノーイ駅と呼んで来ました。タイ通の方は、この駅にまつわる泰緬鉄道の歴史や小説・映画のクーカムなどについてはよくご存じでしょう。興味のある方はタイの鉄道やタイ映画のサイトなどを見て下さいね。

 さて、この駅が丸ごと博物館になるという情報があるのですが、今回訪問して駅員さんに聞いたら、「また列車が来るようになる。いつだかわからないけど。」と言ってました。たしかに新駅に移転してから、もう3年にもなるのにまだあまり整備されていませんし、よくわからなくなってしまいました。

おなじみの時計台を備えた立派な駅舎の正面です。太平洋戦争中は、日本軍にとってここは泰緬鉄道の拠点として重要な場所でしたので、イギリス軍の徹底的な爆撃を受けて全部焼け落ちてしまったそうです。たしか、武器保管庫があったと聞いたことがあります。そして戦後、昔の姿に忠実に復元されたのが現在の駅舎だそうです。なんだか東京駅と似たような話ですね。以前はこの駅前はバスやトゥクトゥクが沢山行き来していたのですが、今はすっかり公園のような姿に変身してしまいましたね。

切符売り場は現在でも駅員さんが切符を売ってくれます。そしてソンテウ(トラック・バス)に乗せられてバンコク・ノーイ駅へ運んでくれるというわけです。駅はすっかり寂しくなってしまいましたが、ちゃんときれいにお掃除されています。かつて鉄道が輸送の中心だった時代に活躍したであろう大きな秤が堂々とした姿で立っています。量る荷物を乗せる台が床面と同じ高さだというのは、考えてみるととても合理的ですよね。重い荷物を持ち上げなくていいんですから。プラット・フォームへのゲートも以前のままです。

こちらは駅の一角で朽ち果てる寸前の木造客車です。とても静態保存という感じではありません。「太平洋戦争当時の客車で、台車を日本から持って来て、車体をタイで製造した(はずだ)。」と駅員さんが言っていました。鉄道ファンの方でしたら台車の型番などわかるのかも知れませんが。しかし、もうちょっと大事にしてくれないかなぁという感じですね。

 広い構内ですが、すっかり何も無くなってしまって、線路も錆びてしまっています。ここが、かつてイギリス軍の大爆撃を受けたのかと思うと感慨深いですね。クーカム(運命)のコボリ大尉は、このあたりで爆撃を受け、妻アンスマリンの腕に抱かれて死んでいったのでしょうか。クーカムはタイでは3回も映画化されている悲恋物語の定番です。日本では”メナムの残照”というタイトルで本が出ていますね。

 アジアで作られた小説・映画などで、日本軍・日本軍人が好意的に描かれているのはクーカムだけだろうと言われているそうです。「作者のトムヤンティ女史によれば、この話にはモデルになった実在の人物がいて、その人は実際にはバンコク・ノーイで亡くなったのではなく、その後ビルマ戦線に出征した後、無事にタイへ帰って来て暮らした。」という話が伝えられています。

 左は駅前から見たプラ・ピン・クラオ橋。真ん中は船着き場ロト・ファイ(鉄道)。右側の写真は駅の北側のバンコクノーイ運河で、王室御座船置き場の前にチャオプラヤ・エクスプレスが着いた所です。

 これらの写真を知り合いのタイ人のオジサンに見せたら、「オレがスラタニー(タイ南部の町)からバンコクに出てきた時は、これからどうしていいのかわからなくて、駅で3日くらい寝泊まりしていたよ。河で水浴び出来たし。バンコクの親戚を訪ねて来たんだけど、どうやって行ったらいいのかわからなかったんだ。バンコクがこんな大きな所だと知らなくて、サムローでどこへでもすぐ行けると思ってたんだ。それ以来、バンコク・ノーイ駅には行ったことがないなぁ。」と、やけに懐かしがっていました。1966年のことだそうです。オジサンは今は小さいながらもエアコン・ショップのオーナーになっています。それから、「このかっこいい船はいったい何だ?」と聞いてました。タイの人でも意外と知らないんですねぇ。<テラワダ>

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